内海聡

【親の墓を蹴ってこい】自身の深層心理への理解を深めるために #内海聡 #心理学 #アダルトチルドレン

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質問)精神分析を行い

母親の愛情に飢えてて甘えたいのに
甘えられなかったことや

母に忖度し

わざと人生を上手くいかなくしている
自分に気付きました

全て自分の選択なのに今まで母を尊敬し
何度も旅行に連れて行く等していた自分が

憐れで泣けてくるのと同時に
母に強い恨みの感情を持ってしまいます

これは一過程なのでしょうか?

内海)“はい”だよ

まさに“はい”

質問)または分かったふり状態?

内海)はい

親の墓を蹴って来いの件について
今一度詳しく教えて下さい

これは精神分析の中で価値観とか考え方を
見直してみたっていうことなのですけど

一般の人がこれを読むと
悪いイメージを持つかもしれませんけど

こっちは良い風に捉えますよね

まさに“一過程でしょうか?”という訊き方が
その通りでございますっていう感じなので

風邪で熱が出てるようなイメージですね

だから精神の反応が出るのは
プラスに捉えるので

今までの覆い隠していた承認欲求なり
忖度なりっていう精神性だったところから

初めてその裏に隠れてるものに
今目を向けようとしてるって事だから

いろんな感情に気づいてしまって
あーやこーやなるのは必然の話

だから今は別に
この状態で何も問題がないし

むしろそういう感情を
もっと実感しなきゃいけない

自分の古くからある素の感情が出せない中で
精神療法もへったくれもないわけよ

それさえ表の精神とも言えますけれどもね

ただこれは深層心理を見ようとしている
という過程の中での反応だから

基本的には歓迎になると思いますね

質問)甘えたいのに甘えられなかった
自覚がある場合

承認欲求に基づいた行動をしないように

自分で自分を甘やかし承認欲求を
自分で満たすことは可能でしょうか?

内海)たぶん無理だろうな

あくまで自己否定して

甘えたい承認欲求を持ってることを自覚して
ブレーキを踏むしかないのでしょうか?

いろんな考え方はありますけれども

親に対しての話をこれはしてるんじゃないか
という風に思うのですが

さっきの質問の続きになってんだよね

親に対してそういう風なものが
隠れて存在してたっていう事を

今は認識しているような段階ですから

その認識してる段階で
隠さなきゃいけないわけじゃないのよ

出してもいいんですよ

ただ承認欲求とか満たされてないとか
文句だらけとかっていうことを認識して

例えば相手に対して関わったり会話したり
コミュニケーションしたりするってことと

忖度して気に入られるために
着飾ってるって事は全然違うわけなんだから

着飾りながらやってるうちは

その承認欲求はずっと一切
満たされないっていうことになるんですよ

どんだけそれをぶつけたような
気持ちになっていても

それは満たされてはいないわけよね

本質的なことをやらないと
満たされようがないって

だから墓を蹴ればいいって言ってるのは

自分の裏側の精神っていうかが
少しは滲み出てるっていう事になるから

そういうことを認識してなきゃ

わざわざ墓石なんか蹴れるわけねえじゃん
って言ってるだけなので

だから1歩目としてはそういうの
ありなんじゃない?って言ってるだけやね

表層心理的なところを自覚して
ブレーキを踏むということと

それを満たすってことは別だと思いますよ

それは別の話で

それを求めるためにまた次のいろんなものに
依存していくということになるわけだけど

究極的には人間は

これちょっとスピっぽい話になるけど

本来みんな存在自体はそこにあるだけで
存在は認められてる話になるわけだから

それを自覚すれば実際は
承認欲求は本当は満たされるはずなんだよね

っていう感じなんだけど

やっぱりそういう風なイメージを

今の人類は持ってない
っていう感じになるんじゃないですか

仏教なんかだと

存在するだけで価値はあるみたいな話とか
出てくるんじゃないかと思いますけどね

スピでも出てくるじゃん

今はスピはそれをビジネスにつなげてるから
クソだなと思ってるところは確かですけど

生まれてる段階それなりに意味はあるでしょ
って俺だってさすがに思いますよ

それが執着からの解放ってやつよ

っていう段階になれば承認欲求をぶつける
必要性もあまりなくなっていくんじゃない?

っていうことを教えてるはずなんです

質問)親を本気で恨むことで救われますか?

内海)人によるというか状況によるんじゃない?

基本的には
当然クソの親がいっぱいいるわけだから

恨んじゃいけないみたいなの自体が
演技なわけだから

そこから抜け出して
自分の深層心理に忠実になるということは

1歩目としてはとても大事だと思います

ただそれで延々と
恨み節だけやってたところで

実際には負のループの中にいることは
変わらないわけだから

その執着からさらに抜け出さない限り
多分同じなんですよね

それ自体が無意味だと
自分の人生や生き方にとって

実はプラスにならないっていうところまで
考えられるようになれば

執着や煩悩みたいなやつに
囚われる必要がないわけだからさ

そしたら救われるかどうか
っていう話になったら

救われるっていう話になるんじゃないですか

そこまでなかなかなれないんだよね

結局執着みたいなやつに囚われてる
みたいな話になっちゃうんじゃないかな

熊谷)これだと方法論として
捉えちゃってそうですよね

内海)最初はそれはしょうがないと思うんですよ

少なくともそういう親であるにも関わらず
それさえもできないで

儒教の虜みたいな

儒教ってどんなクソ親でも

とにかく盲目的に
親を尊敬しなきゃいけないみたいなさ

そういう教えにちょっとなっちゃってるから

そういう盲目的な儒教の発想に
縛られる必要はないと思いますよ

儒教も昔はね
戦争しかなかった時代の中国で

あまりに倫理もへったくれも
何もなかったから

それを教えるために忠孝とかそういう精神が
入ってきたというところがあり

絶対悪ではないんですね

ただ今は自己認識というか

自分を大事にしようっていうところが
比較的広まっているという社会状況ですから

だからこのクソ親に無理くり従わなきゃ
いけないみたいな精神性に対しても

すでに嘘をつきまくってるっていう事は
とてもよくある話なので

だから儒教なんかって別に従う必要はないよ
って言わざるを得ないわけですよ

という感じなんだけど

恨むだけで救われるか言ったら

それは執着をむしろ
加速してるだけになってしまうから

最初の第一歩としてはいいけれども
それで救われるか救われないか言われたら

多分救われねえと思うよっていう
そういう回答になるしかないってことよね

質問)深層心理の一番奥で親が嫌いな子どもは
いないと仰っていましたが

内海)そりゃそうやね

質問)親が子を支配したり自分と同じ
酷いに目に遭えと深層心理で考えるのは

親は子と違い基本的に子が…

内海)違う、違う、違う、違う

ジレンマとか深層心理に
多面性があるということを

勉強した感じで書いてるんだけど
理解してないんだよ

だからある面においてだけは
一面的にしか考えてないんだよね

同じことで、親が嫌いな子どもはいない

それは本能とかそういう意味においては
当たり前なんですけど

親も自分の幼少期があったら色々するから
子どもに虐待をかけたり色々何とかをして

要するにそれは多面的精神があるわけでしょ
深層心理も表層心理も含めて

だから同じことで

親が子を支配したり自分と同じ酷い目に
遭わせるっていうのも

1つの深層心理であるのだけれども

同じように親も子どもっていう
自分が産んだ子だったりとか

自分の遺伝子を持って
生まれてきた子なんだから

それっていうのが大事だっていうのは
同時並行で存在するんだよ

だからそういうとこだけ
一面的に考えるっていう事が

自分の欲求、承認欲求みたいなやつに

負けてるんだって取り方を
しなきゃいけないんだよ

そこがわかるかどうかがポイントなんじゃね

一面的に捉え過ぎっていう感じになってる

質問)0歳0日目の自分を好きになろうと
ホロスコープを見て

こんな性格嫌だと感じるのは
まだトラウマや承認欲求に負けている状態で

精神分析を深めた方がいいですか?

内海)理屈上はそうですね
はい、その通りです

順番は
精神分析→0歳0日目の分析の順ですか?

精神分析の手順としてはそうです

忖度してきたっていう
アダルトチルドレンの自分がいるんだから

それに対して抵抗があるのは当然じゃない?

-内海聡