質問です
先生にとって修行とは
どんな定義ですか?
自分が思っている
嫌な事っていうのを
ちゃんと自分で実践していく
その状態っていう感じですね
とにかくですね
今の人間はですね
アメリカナイズされてるとか
1945年以降の奴隷思想
っていう風なのを身につけていて
羊でなきゃいけない
っていう風なのを刷り込まれてると
羊じゃなきゃいけない
っていう風な人たちが
どうやってそれを回避するかと
そうじゃないと思い込み
でね
現実から目を背けるために
どうすればいいかで一番簡単なのは
目先で楽しいことに
飛びついてるっていう
これが一番いい状態なわけですよ
そういう風にすればいい
だから楽しいことやってるのが
いいことなんだみたいな
そういう話になるわけよ
なんだけれども
それっていうのは実際には
本当の意味では
深層心理的に言ったら
別に楽しいわけでも
なんでもないわけよ
目先のことでそうやって
それに対してやってるだけだから
自分のね
深層心理というか
生まれた時の子どもの時からの話で
自分の意味みたいなやつとか
をどうしても人間はですね
赤ちゃんの頃から考え
それは幼少期でも考え
思春期にだってもっと考え
っていう風になっていくわけだけど
それが人類とか
人生の目的みたいな話に
繋がっていくわけですよ
だから目的に向かって
進んでるっていう状態が
自分の深層心理というかね
表面上もそうですよ
真の意味で良い状態
で、それはトラウマとか
そういう風なものとは
違う方の目的設定じゃないと
本当の意味で自分、
正直な自分を出して
目的設定をしてる状態じゃないから
それを見つめた上で本当は
目的設定した方がいいわけなんですが
その目的設定に向かって
進んでる状態っていうのは
自分にとってはとても
有意義な状態ではあるんですよね
真の意味で自分を高めてるとか
そういう状態では
あるはずなんですけれども
その状態は
楽しい状態ではないわけよ
目的に向かって進んでいて
目的に1歩進んだ2歩進んだ
3歩進んだっていうのは
嬉しいという状態で
ある種それを楽しいという風に
感じる時もあるかもしれませんが
そこに向かってる過程の中では
当然ながらしんどいこととか
トラブルとかそういうこと
いっぱい降ってくるわけですよ
それに対して
逃げるか逃げないかという選択を
迫られるわけなんですけど
目的に向かって進みたければ
その障害ってのは
取り除くしかないわけだ
そういう風にするというのは
自分とっては嫌なこととか
本来はやりたくない事っていうのを
表面上やりたくないですよね
そんなん無い方が嬉しいんだからさ
っていう感じだけど
それは絶対に降りかかる問題であり
それをちゃんと自分の中には
取り込んでるというか
当たり前だという風に思って
その対応をしてるっていう
これが人生をね
修行だと見立てるのであれば
自分を少しでも高めていくために
頑張って生きてる
みたいなイメージでね
考えてるから修行って言葉を
使うんでしょうけども
そういう風な意味合いであれば
楽しいことじゃないことを
自分たちの身の回りに置いておく
っていう風な感じのことが
修行で
こんなよくわかんない
滝行をするとかっていうのは
簡単ですよ
目先の感じの修行や
やるなとまで言わんけど
軽いわ!
っていう感じでね
私なんか思っちゃいますね